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日本海がみたい

■ 日程
 95年7月28日〜95年7月29日(1泊2日)
■ 走行距離
 約200km
■ 行程
7月28日 京都〜(R367)〜朽木〜今津〜(R303)〜(R161)〜敦賀

敦賀泊

7月29日 敦賀〜(R161)〜今津〜大津〜(R1)〜京都

帰宅



 注)だいぶ前に書いたものをちょっといじったものです。一部修正してあります。小さい文字で書いてあるのはあとから付け加えたコメントです。



 日本海へ行きたい。そんなばかげた途方もない夢をかなえるため、2日間に渡る長い、長い旅は始まった。

 7月28日、午前3時。家を出てまず白川通を上る。どこかで国道367号線につながるはずだ。これに乗れば北に行ける。あとはよく知らないがなんとかなるだろう。どこでもいいから日本海に着きさえすればいい。それからしばらく走って367号線に乗ったはいいが、そのままその道沿いに進んでいったら途中に着いた。北に向かおうとしているはずなのに滋賀県に入ってしまったので無駄が多いなと思いつつ、ほかの道を探す気にはなれなかったのでそのまま進むことにした。途中トンネルを通ったんだけど、料金所に人がいなかったのでただで通れた。前に通ったとき(2年前)には20円とられたのに。それから琵琶湖大橋に行くほうと朽木に行くほうに道がわかれた。朽木というのがどこにあるのかはわからなかったけど、琵琶湖大橋に行くよりは正しそうだったのでそっちの道に行った。そこからはひたすら山道。まだ暗かったのでほとんど前が見えない中、山の中の道を走った。途中峠をこえたあとしばらくは下り坂だったと思う。しばらく下ってまた上った。なんだったか名前を忘れたけどトンネルをくぐった。トンネルを過ぎたらまた下り。また上って峠を越える。そこら辺でたぶん朽木村に入ったんだと思う。朽木村に入って多少ショックだったのはまだそこが滋賀県であったこと。改めてその道のりの長さを感じた。現に、その時点でだいたい全行程の3分の1進んだか進んでないかといったくらいだったわけだが。朽木村に入ると、今までとはうってかわってすごい下り。周りはまだ山ばかりだったけど気持ちよかった。ひょっとしてもう日本海に着くのかとさえ思った。しかも通っていた道沿いに川があって、進行方向と川の流れる向きが同じだったこともあってかなりほっとしていた。そして、道沿いに民家が見えてきて、視界が開けた。今までほとんど人気のない道を通ってきていたのでうれしかった。しかし安心したのも束の間、村の中心部らしいところあたりで道がまた上り始めて、隣を流れる川は進行方向と逆向きに流れるようになった。2つの川がその近くで合流していて、合流している片方の川沿いに下りてきて、もう一方の川沿いに上ったわけだ。また、山。川沿いに上る。しばらく下りで楽だったので多少は疲れがとれていたとはいえ、きつい。日も照り始めていたので汗まみれ。体が重い。

 その山を上りきると今度は今津町に到着。これまた滋賀県。長い。もう50キロくらい走っているのにまだ滋賀県なのか…。たしかに日本海まで50キロしかないとは思えないけどいったいどのくらいかかるんだろう。でも、先のことを考えても気が滅入るだけなので目の前の道だけを見て進むしかない。それに、帰りがあることを考えたりしたらそれだけでいやになる。すでに50キロ走っているということは少なくとも帰りも50キロは走らなければならないということだし。今津町に入ってからもまた下り。たしかここらへんで花折トンネルとかいうのを通ったような気がする。ひょっとしたらもっと先だったかもしれないけど。道を下っていったら、三叉路に到着した。片方は小浜、舞鶴方面行き、もう一方は敦賀(ともう一つどこか書いてあったけどどこだったかな)方面行きだった。その道が国道303号線。今まで通ってきた367号線がそこで終わってどっちにいっても303号線を進むことになるわけだ。ここで少し迷った。どっちにいっても海に出られることはたしかだけど、どうしようか。舞鶴に一瞬ひかれたけど、どうせなら直線距離で遠いほうがいいなと思って敦賀のほうにいくことにした。今になって考えてみるとこの選択は正しかったといえる。こっちにいったおかげで帰りは琵琶湖沿いの比較的平坦な道を走ってくることができたからだ。逆側にいっていたら帰りも山のなかを走ることになっていただろう。

 敦賀にいくほうに進んだはいいが、そこから敦賀までの距離はまだ三十数キロあった。すでに60キロ以上は走っていたのに。全行程の約3分の2進んでいることになるけど、それまでに走った距離の半分をさらに走らないといけないというのはひどい話だ。しかし、もう上り坂はないかもしれないという期待は持てた。かなり北まで来ているはずだから、ひょっとしたらあとは平坦なのでは、と思った。
 今津町を抜けたあと今度はマキノ町というところに入った。そこらへんがどんなところだったか忘れたけどどうだっただろう。どうせまた山を上ったんだとは思うけど。やっぱり2日かけて200キロも走るといろいろありすぎてところどころ記憶があいまいだ。ちょっと走る度にあったことをメモっておけばよかったのかもしれないけど絶対そんな余裕はなかっただろう。マキノ町がまた長かった。だいたい平らなところだったので楽は楽だった。そこら辺で時計を見たらたしか8時半くらいだった。出かけたのが3時だから5時間半もたっていたわけだ。でもそこまで5時間半というのは多少意外だった。もっとかかると思っていたのに。まあでもまだ日本海に着いたわけではないし、なにより未だに滋賀県を走っているんだから全然安心できなかったことは事実だけど。
 そこらで敦賀まであと20キロくらいになっていた。20キロと軽くいっても長い。2時間もあればいける距離だろうけど、疲れきっている体には辛い距離だ。道が平らならいいけど、そうでなかったら今の体力で進めるんだろうか。たしかにもう海までそう遠くはないとはいえ、今まで何度も「ここからはもう山がないのでは」と思って裏切られてきただけに安心できない。しばらく緩やかな下りの道を走った。それから左に曲がって今度は国道161号線に乗った。すごく狭い道だった。今までに通ってきた道のほうが番号が大きいのにと思ったけど、考えてみると番号が大きい道はあとで作ったんだろうから太くて当然かもしれないとも思った(ってそういうわけでもないですね)。道はあいかわらず平坦。上りもせず下りもしない。ずっとこのままだったらいいな、と思った。
 でもやっぱり最後までその期待は裏切られた。道が上に上り始めた。ああ、もうだめかもしれない。坂はきつく、歩道もない。狭い路肩をふらふらしながら走る。後ろからたくさんの車(ほとんどトラックだった)が走ってくる。どんどん抜いていく。抜かれる度にふらつく。後ろから車が抜いていくとき、最初は前に押され、次に車と反対方向に押され、最後に車の方向に引っぱられる。揺れる揺れる。そんなことはそれまでにも何回も経験していたけど、疲れがピークに達しているときにその揺れはきつかった。本当にこわいと感じた。このままここで死ぬかも知れないとさえ思った。何回も何回も止まって休みながら坂を上った。坂の途中で横に出ている道を見つけ、そこで少し迷った。この道はなんだ? 周りには特になにもない。ということは、この道をいっても敦賀に出られるのかもしれない。でもそんな保証はどこにもない。いきなり行き止まりということもありうる。それまでに味わった恐怖と、その道が下り坂だったことから、結局その横に出ている道を進むことにした。しかし、1分も走らないうちに、いきなり行き止まり。どう見ても前には進めない。進める方向は、いま下ってきた上り坂と、それとほぼ同じ方向に進む下り坂の2つだった。下り坂の方にいけばたしかに楽だろうけど、この方向ではどう考えても北にはいけない。どう見ても戻っている。そうは思ったけど、もうもとの道に戻るのはいやだった。ええい、こうなったらこの下り坂を下って戻るところまで戻って別の道を探そう。北へいく道は161号線ばかりではないはずだ。そう思って下る。
 しかし、結局行き止まり。目の前に道らしきものがあるにはあるが、かろうじて道とわかるくらいの道。一応車が昔は通っていたのがわかる轍の跡はあるけど、それ以外はただの森。周りは木が生い茂り、道の中央には1メートル以上の長さの草が生えている。さて、ここで究極の選択。車と坂道がいやか、道かどうかもわからないような道がいやか。やっぱりそれでもあの坂道はいやだった。あの坂道には、目の前の道かどうかわからない道を舗装してある道に見せるだけの力があった。で、その道を進む。舗装していない砂利道だったけど、下り坂だったので楽だった。自転車がパンクすることだけがこわかった。途中から道がひどくなったので自転車を押していくことにした。しばらく進むと、今度は本格的に行き止まり。前方にはどう見ても道に見えるものはない。本当にただの森だ。ただ、道の左側の斜面に、歩いてなら上れそうな細い坂道だけがあった。この坂を上ったらまた別の道に出られるかもしれない、悪くてももとの道に戻れるかもしれない、とそう思った。その細い急な坂道を自転車を引いて上る。自転車が重い。草や木が車輪に絡まる。遠くのほうで銃声が聞こえる(たぶん狩りをしていたんだろう。そこに至るかなり前に猟犬らしき犬を3匹連れた2人組みの人に出会っていたし、それまでにも2回くらい銃声は聞いていた)。こんな山の中を歩いていて間違って撃たれたらしゃれにならんなとか思った。実際はそんなことよりもここから脱出できるのかということのほうが重要だったんだけど。斜面を一生懸命上ったが、一向に道は見えてこない。かなり上の方に今まで走っていた道が見えたけど、ガードレールがあって上れそうにもなかった。そこまでの間にも道はない。どうやら本当に行き詰まってしまったようだ。
 その斜面の途中で少し休んだ。それほど疲れていたわけでもないけど、休まずにはいられない状況だった。これからどうしたらいいかをいろいろと考えた。でも結局選択肢は一つしかなくて、その選択肢は今まで絶対選びたくないと思っていた、もとの道に戻るというものだった。今度は自転車を引きながら斜面を下りる。それはまたそれできつい。自転車が先にいってしまいそうになるからそうならないように手前に引きながら下りた。何回もくもの巣に引っかかったけどそんなことを気にしている余裕はなかった。坂道を下りてさっきの行き止まりのところまで出た。やっぱり道はそこで途切れている。戻るしかない。そこに来るまで少し下りだったということは帰りは上り。たいした坂ではなかったけど下はがたがただし、草が生えまくっていたので苦労した。木が車輪に引っかかって突然自転車が進まなくなったときには一瞬焦った。もう帰ることすらできないかと思った。なんとかその道を脱出して舗装してあるところまで出た。そこからまた坂を上ってもとの道へ。もとの道に戻ったとき、たしかにこわいけどさっきの山道よりはましだなと思った。そこからまた上る。200メートルくらい走る度に休みながら少しずつ上った。それから少し坂が緩やかになって一度下りになり、また上りになった。道沿いにいくつか民家がある場所があって、そこで自転車を止めて少し休んだ。それまでは自転車を止める場所なんてないから自転車に乗ったままガードレールにもたれて休んでいただけだったので自転車から下りて休めるのはうれしかった。

 しばらく休んで、さて行こうかと自転車に乗ろうとしたら左足首あたりに激痛。半分くらい足をつった感じ。普段ほとんど運動をしていないくせにこんな無理をしたから当然かもしれない。足が動かせるようになるまでしばらく待つ。少しずつ動かして、なんとか動くようになったので自転車に乗る。もういつ動けなくなってもおかしくない状態だ。しかもまだ往路、本当に帰ることができるのか。そこからしばらく自転車に乗っていたけど、足が不安だったので自転車を押して歩くことにした。
 1キロくらい歩いただろうか、坂が緩やかになって「敦賀市」と書かれた看板(っていうのか?)を見つけた。やっと福井県に入れた。しかもそこから下り坂だ。しかももう福井県に入ったわけだからもうこれ以上山はないだろうと思えた。坂をひたすら下る。こんな楽でいいのかというくらい楽だった。なにもしなくてもどんどん進んでいく。風が体に当たって涼しい。今まで苦労して坂道を上ってきた報酬としては足りないかもしれないけど、十分気持ちのいいものではあった。しばらく坂道を下ったら、観光地の案内地図みたいなものを見つけた。そこで止まってどうやったら海に着けるかを見た。
 どうやらまっすぐ進めばいいようだったのでまっすぐいくことにした。それに、海にいく方向なんて標識とかで確認できるだろうし。それからしばらく走ってやっと街らしいところに出た。歩いている人がいることだけで感動できた。それにもうすぐ海に着けるという喜び(あー、もっと気の利いた言葉はないのか)は何にも代え難いものがあった。それからしばらく走って161号線とわかれ、今度は国道8号線に乗った。この道も大概いやな道だったけど、それまでに走ってきた道に比べたらまともな道だったかもしれない。せめて両側に歩道をつけてくれと思ったけど、たまにしか通らない自転車のために歩道を作るのは無駄かな。それからまたしばらく走ってやっと市街地らしいところに出た。それからどこをどういったのかよく覚えていないけど、なんとか海に着いた。でもただの港みたいなところ。せっかく海にきたんだから浜辺にいきたい。どっちにいけばいいのかわからなかったけど、どっちにいってもいつかは浜に着けるだろうと思い、左へ進んだ。ごちゃごちゃしたところを適当に進んで、やっと浜に着くことができた。海に着いた。疲れた。近くに公園があってそこで時計を見たら10時半。家を出てから7時間半、どうにか日本海に着いた。さて、これからどうしよう。帰ってもいいけどその前に飯が食いたい。家を出る前に少し食べただけだったからすごく腹が減った。海で食べてもよかったけど、高そうだったのでやめた。

 飯が食える場所を探しに、適当にそこらを走った。でも全然それらしきところがない。民家と宿ばかりで時々散髪屋があるくらい。たしかに飯屋があってもそれを利用する人はここにはほとんどいないだろうけど、1軒くらいあっても罰は当たらんだろう。そう思って探したけどやはりなく、やっと見つけたのは全然聞いたこともないファーストフードショップだった。まあしかたない、これで妥協するか。こんなことなら海で食べてもそれほど変わらなかったかなと思いつつ我慢我慢。飯を食って多少は落ち着いたけど、さてどうする。今から帰るか今日は泊まって明日帰るか。もしくは帰れるところまで帰って帰られなくなったところで泊まるか。まあ、いくらなんでも今から帰るのは無理だろうし、海に来ただけで帰るのも空しい。そうはいっても泊まる準備なんてなにもしてきていないし、金もない。さて、どうする。
 やはり泊まって帰るのが一番現実的か。たしかにそうするのが一番いいだろう。そうなったらまずは宿探し。泊まるところを確保できなかったらどうにもならない。野宿っていう手もあるかもしれないけど、明日また100キロ走らなければならないことを考えたらまともなところで寝たい。しかしいきなり今日いって泊まらせてくれるもんだろうか。海も人であふれていたし、宿もいっぱいかもしれない。数軒回れば1軒くらい泊めてくれるところもあるかもしれないと思い適当に当たってみることにした。そうしたらなんと1軒目でいきなりOKが出た。すばらしい。しかもぼくが京都から来た話をしたら1000円くらい安くしてくれた(本当は8000円+消費税240円のところを7000円+消費税210円にしてくれた)。
 さて、宿も確保したことだし、まずはさっき見つけた郵便局で金をおろそうか。服も買わないといけないだろうし、金がかかるな。それからその前に見つけていたやまおかとかいう服屋(なんか変な名詞だな)にいく。そこでTシャツとトランクス、水着、タオル、バスタオル、靴下を買った。4160円だったんだけど、そこでもまけてくれて、2000円で済んでしまった。苦労した分の報酬なのかもしれない。それから宿に戻って着替え、海へ。海に着いたらサンダルがほしいことに気付いた。戻って買うのもばからしかったので現地調達。1000円。なめとんのか。さっき安い買い物をしただけに余計に高く感じる。しかし戻るのもいやだったので我慢して買う。あとでよく考えたら必要なかったかなと思ったけど、それがなかったらアスファルトの上を素足で歩くことになるところだった。ふう。
 で、海。いわゆる海の家みたいなものがだーっと並んでいる。どれも同じなんだろうと思ったけど、どれも同じとなるとどれにしようと迷ってしまう。でもめんどくさかったので適当に歩いて客引きに引っかかることにした。で、入る。着替える場所を使うのが1回200円で、800円出すと物を置く場所を使わせてくれてさらに着替える場所を何回でも使えるということらしい。たしかに物を置く場所がないと不便なのでしかたなく800円払った。高かったけどさっき1000円のサンダルを買ったおかげでなんだか安く感じた。
 さて、海。疲れているかと思ったけどそれほどでもなかった。動けた。でも3時間くらいいたらさすがにだるくなってきたので宿に帰ることにした。海ではこれといっておもしろいこともなかった。水があまりきれいじゃなくて、しかも草がたくさん浮いていた。でもそこに来るまでに比べたら気持ちよかった。宿に帰ったのがだいたい4時半くらいだったかな。それから部屋でぼーっとしていて、風呂に入って部屋にいたら急に眠たくなって寝てしまった。たしかに起きたのが0時くらいだったからそりゃあ眠くもなるだろう。飯の時間に起こされて飯を食べた。久しぶりに豪勢な飯が食べれた。飯を食って落ち着いたらまた眠たくなって、布団を引いてもらったのですぐに寝てしまった。


 次の日、5時半くらいに起きた。部屋に時計がなかったし、ぼくも時計を持っていなかったので、テレビをつけるまで何時かわからなかった。時間がわかったところでどうにもならないけど、昨日の今ごろはどこを走っていたかなあとか思ったりした。起きたのでとりあえず動く。顔を洗って…。おっと、髭剃りがない。そりゃあなにも持ってきていないんだからあるはずがない。そういえばどこかでコンビニを見たなと思って探しに出かけた。しばらく探してやっと見つけた。あと、日焼けが多少ひどかったので塗る薬みたいなものがあったらいいなと思って探したんだけど日焼け止めばかりしか置いてなかった。ないなら我慢すればいいやと思い、髭剃りだけ買った。あと、帰りをどうしようかと思い、地図を見たら161号線に乗っていけば京都まで帰れることがわかった。しかも琵琶湖の横を通っているからたいして坂もなさそうだと思った。じゃあ行きより楽かもしれないと思いつつ宿に戻った。
 部屋でテレビを見ていたらしばらくして朝飯。7時半くらいだったかな。なんかすごく健康的だなと思った。飯を食ってから8時半くらいまで部屋にいて、出発することにした。宿代を払ってお礼を言って出発。まずは8号線を探す。8号線から結構走ったのでどういったら戻れるのかよくわからず、ちょっと迷いそうになった。でも適当に走っていたら太い道にぶつかり、それが8号線だった。そこらへんでお土産を買おうかなと思ったんだけど、まだ9時前だったので閉まっているところばかりだった。しばらく走っていったらあいている土産屋を見つけ、そこで土産を買った。荷物がさらに増えた。それまでにかなり増えていたのにさらに増えた。荷物だけを見たら行きよりたいへんそうだ。でも道が楽ならなんとかなるだろうと思い、気にせず進んだ。そしてさらにしばらく走って161号線に乗る。問題はここから。来るときたいへんだったところだから帰りもたいへんだ。でもこの道以外は知らないし、最初たいへんなだけだからなんとかなるだろうと思い、坂道を上る。でも坂を上り始めて30分もしないうちに息が切れ始めた。汗が流れる。足が上がらない…。やっぱりまだ昨日の疲れがとれていないのか。でもここで止まるわけにはいかない。とにかく前に進まなければ。少し進んでは休み、少し進んでは休み、ちょっとずつ前に進んだ。このままのペースで帰ったらいったいどのくらいかかるのかと思うとぞっとした。行きの半分のスピードだとしたら15時間…。9時から15時間だったら12時、夜中の12時か。それはたまらん。そう思いつつも思うように足が動かない。こぐのが辛くなってきたので、またしばらく歩くことにした。歩いても歩いても坂が続く。行きのときは下り坂だったのでそれほど長く感じなかったんだろうけど、それにしてもこんなに長かったか? しかも低気圧が北にあるせいか風が南風。逆風だ。ちょっとくらいの下り坂ではこがないと進まないくらいの風。それから坂が緩やかになったりきつくなったりを何度も繰り返した。
 30分くらいさらに走ったら何となく体が軽くなったように感じた。マラソンで急に走っているのが楽になるときがあるでしょ。まさにあんな感じで突然楽になって、今まで苦しかったのがうそのように平気で走れるようになった。不思議だ。慣れとかそういうものでもないだろうし、どうなっているんだろう。

 楽になってからペースが上がった。いつまた苦しくなるかわからないので楽なうちに走れるだけ走っておこうと思ったわけだ。坂はきつかったけどなんとかがんばり、やっと福井県を抜けた。行きに死にそうになった坂道を今度は下る。楽だ。上ったとき苦しかっただけあって、下っても長かった。昨日これだけ上ったのかと思うと同時に、今日もこれだけ上ったんだなあと思った。さらに下って昨日間違えて入った道の横を通り、この道がなかったらもう少し楽に着いただろうにと思った。
 それから少し走ったら道の逆側を上ってくる自転車を見つけ、彼がぼくと同じ過ちを犯さないようにと祈った。まあひょっとしたら彼は毎日この道を通っているのかもしれないが。坂を下り終え、また狭いところを通る。右に曲がって道が太くなり道の両側に歩道がある。時々歩道がなくなるが、その時には横道が用意してある。結構至れり尽せりのいい道だ。来るときも通ってきたんだよなあ。ところどころ覚えているところもあったけど大部分は通ったことを覚えていなかった。楽だったところというのはだいたいそんなもんかも知れない。それからしばらく走って303号線とわかれるところに来た。303号線にいくと昨日と同じ道。あの道はもう通りたくなかったので161号線にいきたい。でも161号線はそこからバイパスになっていて、自転車が通れるのかわからない。
 しばらく迷ったけど、今までだっていくらでも自転車が走れないようなところを通って来たんだから今さらバイパスくらいで負けてたまるかと思いバイパスに乗った。そうしたら、バイパスとかいうくせに歩道がついていて、なんだか拍子抜けしてしまった。バイパスに乗ってからはまたしばらく下り坂だった。そのあたりから額の日焼けが痛くなってきた。我慢できないこともなかったけど、ほっておいたらさらにひどくなりそうに感じたので、頭にタオルを巻いて走ることにした。自分の姿は自分では見られないのでどんな格好だったかはわからないけど、どうだったんだろう。とにかく、周りの人の視線なんて考えている余裕はなかったということだけはいえるが。バイパスに乗ってしばらく走ったら、突然歩道がなくなり、歩道から下に道がつながる感じになっていた。こうやってご丁寧に歩道から道が出ているくらいだからきっとまた戻ってこれるんだろうと思い、その道を下る。でも前のほうを見ても上れそうな場所はない。下りるのは間違いだったかと思ったけど、まだその道は先に続いていたのでその道に沿って進む。しかも今まで走っていた161号線のバイパスのすぐ脇を走っていたので多少は安心できた。それからしばらくして上れるところを発見。でも、どう見ても車しか上れなさそうな場所だ。それにまっだ今まで走ってきた下の細い道は続いている。どうしようかとまた迷ったけど下の道をいくことにした。そのうち上れそうな気がするし、上れなかったにしてもずっと並んで走っているみたいだからなんとかなるだろうと思って。下の道をしばらくいったら、また上れるところを発見。しかもその道はまだ先に続いていたけどそこからしばらくして全然別の方向に曲がってしまうようだった。それならもう上るしかない。上にいって歩道がなかったとしてもその時はその時。なんとかなるだろうと思い、その坂を上る。結構きつい坂だった。坂を上ると、目の前に歩道。またしても歩道につながる道。なかなかよくできている。自転車でも安心して走れる道だ。それから何回も下りたり上がったりしながら161号線沿いを進んだ。
 そうこうするうちに、痛いのが額だけではなくなり、両手が痛くなってきた。でもタオルは2本しかないし、1本は頭に巻いている。どうしよう。でもまだ我慢できたので我慢することにした。そのうち適当に店を見つけてなんか薬を買えばそれですむだろうと考えた。しかし、暑い。汗が止まらない。どこかで休みたいけど日陰が全然ない。影なんて標識の影くらいしかない。しかたないからそんなちょっとした影のところで休んで、結構前に買った冷えてないウーロン茶を飲んで休む。休んでも汗は止まらないし一向に疲れはとれないけど休まずにはいられない。2、3分休んだらすぐ出発。こんな日の照ったなかにずっといたら死んでしまいそうだ。コンビニとかを見つけたら涼みに入ろうと思ったけどそれすらない。周りにあるのは水田ばかり。時々民家がぽつぽつあるくらいでほかにはなにもない。まったくどうなっているんだ。たしかにこんなところに店を作っても使う人はほとんどいないだろうけど。

 それからしばらく走って、ついに琵琶湖が見えた。湖だって知らなかったら海だと思ってもおかしくないくらい広い。しかも琵琶湖の一番北くらいの場所から見たから南のほうを見てもずーっと湖。やたらと広い。そこらあたりから車の量が増えた(本当は数が増えたっていう方が正しいんだろうけどやたら多いから数が増えたとは感じなくて量が増えたっていう風に感じる)。たぶん琵琶湖に向かう車だろう。なんでこんなに多いんだと思うくらい多かった。それから、そこまで太くて歩道もあった道路が、狭くなって歩道もなくなった。時々歩道があるところもあったけど、あっても片方だけにしかなくて、しかもしょっちゅう左右が入れ替わっていた。歩道があると思って安心して走っていたら突然歩道がなくなってふと道の逆側を見るとそっちには歩道があったりするのだ。道を渡れる場所なんて全然ないのに歩道の場所だけ入れ替わられたらどうしたらいいんじゃ。まあ渡れないものはしかたないからあきらめて歩道のないところを走った。歩道のないところは歩道のあるところと比べて集中して走らないといけなくて疲れるからいやだったんだけど。
 そうして琵琶湖沿いの道を走っていたら道の反対側にコンビニを発見。ちょっと涼みつつなんか手に塗るものを探そう。そう思って入ったはいいが、やっぱり日焼け止めしか置いてない。で、まあこれでも気休め程度にはなるだろうと思い、それを買う。店の前でつけているわけにもいかないだろうと思い、少し走って適当な場所を見つけ、そこで手に塗る。効果があるかどうかはわからないけどなにもしないよりはましだろうと思った。でも実際なんの効果もなかった。手が痛いのは、もうすでに日焼けがひどくなっているからであって、日焼けが進行しているからではなかったわけだ。いってみれば火傷した手を火のなかに突っ込んでいるようなものだから何をしても無駄。日光の紫外線を防いでも日光から受ける熱を防げなかったら意味がないわけ。でもまあ対処する方法がなかったので我慢して先へいく。とにかく家につきさえすれば日光は防げるし、水もあるから手を冷やすこともできるだろうから。まだその時京都まで50キロ以上あったけど、道はずっと平坦だったのですぐつくと思っていた。
 それからしばらく走ってまた店を見つけた。そこでもまた薬を探したけど置いてなかった。店の人に聞いたけど置いてないらしい。で、近くに薬局はないかと聞いたんだけど、それもないらしい。かわりにしばらくいったところにコンビニがあるからそこで探してみたらといわれた。で、そこで探す。やはりない。どうにもならんなあ。しかたないので我慢する。そのあとしばらくして神社を見つけ、神社だったら水があるはずと思って入ったんだけど、水があるはずのところの水は枯れていた。ひどい話だ。困っている人に水をくれないやつなんて神じゃねえ、と思った(笑)。どんどん先へ進む。すると今度は志賀駅というのを発見。駅ならトイレがあるはずだから水もあるはず。そう思ってそっちへ曲がる。そうしたら薬局を発見。入って薬を買う。これでまずは一安心だ。でも塗る場所がない。しばらく考えて、結局駅にいくことにした。駅にいくと、トイレは改札口の中にある。どうしようかと思ったけどここであきらめるわけにはいかないので駅の人に頼んで入れさせてもらった。さっきの神社にまつられている神よりこの駅員さんのほうが、ぼくにとっては神のような存在だった。
 それからトイレにいって手を洗って冷やす。そして薬を塗った。気温自体が上がっていたので水で濡らしてもすぐに温まってしまったけど薬を塗ったので気持ちは楽になった。もう、京都まであと三十数キロだったのでもう余裕だなと思っていた。それからしばらく走っていたら、やっぱりまた手が痛くなってきた。額も痛いし、首も痛い。でも冷やすものはなにも持ちあわせていない。またコンビニを見つけて入り、そこでしばらく涼んだ。アイスが入っているところに手を突っ込んで冷やしたりした。で、ふと上を見たらロックアイスありますという表示。ふーんと思ったその直後、氷があれば手を冷やせると思った。で、レジにいって氷を売ってもらった。230円だった。これで手を冷やせるなら安いもんだろうと思った。で、買ったはいいがやはり店先で手を冷やしているわけにもいかない。しかたないから氷の袋をタオルに包んで袋にいれ、自転車のハンドルに引っかけて先へいく。途中わき道に入っては手に氷(の袋)を当てて冷やす。本当は直接当てない方がいいのかもしれないけど、タオル1枚を介しただけで全然冷たくなくなったので直接当てることにした。たしかに氷を当てている間は冷たくて気持ちいいんだけど、氷を当てている部分以外はあいかわらず痛い。氷を当てる場所を変えると今度はまた別の場所が痛い。そうしているうちにまた最初に氷を当てていた部分が痛くなってくる。でも氷は1つしかないから我慢するしかない。それに、ずっとそこで休んでいるわけにもいかないから適当なところで妥協して先へいかなければならない。氷を当てるのをやめて自転車に乗ると、やはり手や首が痛い。でも我慢するよりほかはないので我慢しきれなくなるまでは我慢することにした。
 そこからがまた長かった。大津市に入ってからもまだまだあった。余裕だと思っていたのに手の日焼けとかを気にしていたら意外と時間がたっていた。しかも体が疲れてきてまた汗が流れ始めた。髪の毛から首筋に汗がどんどん流れるのを感じた。京都まであと20キロをきってもそれほどうれしく感じなかった。まだ20キロあるのかとしか感じなかった。とにかく早くついてほしい、それ以外頭になかった。そういえばその前か後くらいに琵琶湖大橋の横を通った。ああ、ここで右に曲がれば途中を越えて京都に出られるなと思ったけどそんな元気はなかった。今思うと、そうしたほうが楽だったかもしれないけど(あ、やっぱりそんなことはないかな)。それは無視して先へ進む。それからさらにしばらく走ると今度は比叡山という文字が見えてきた。右に曲がって3キロ走ると比叡山に着くらしい。たしかにその道を通っても京都に帰れそうだ。でも結局山を通らないといけないんだったらたいへんだろうからやめておこうと思い、無視することにした。しかし、それからまたしばらく走ってもやっぱりまた右に比叡山という表示。その時はこの道からでもいけるのかというくらいしか思わなかったけど、そのあともう1回出てきたときは、これはこっちからいくほうがいいっていうことかもしれないなあと思ってそっちに進んでみた。でもやっぱり坂はきつい。まだたいした坂も上っていないのに疲れてしまったので結局その道はあきらめてまた南に向かうことにした。しばらく走っていたら前方に三井寺という文字が見え、思わず笑った。ここから歩いて4時間で京都に帰れるなとふと思った(以前大文字山から山道を延々歩いて三井寺までいった経験あり)。でもふと思う以上の余裕はなかった。そこら辺で時計を見たときにたしか3時半くらいだったように思う。あとまだだいたい20キロくらいあったから帰ったら5時くらいかと思った。

 しかし、そう簡単にはいかなかった。まず、大津で迷った。三井寺の近くを通ってからどっちにいけばいいのかわからなくなった。前にも一度迷ったことがあったのにもう一度迷うとは。ずっと161号線を走っていればこんなばかなことにはならなかっただろうにと思いつつ、わかる場所を探す。ここから近くてわかる場所だったら京津線沿いの道だろう。適当に勘で進み、やっと線路を見つけたらそこは161号線だった。ああ、最初からずっとこの道を通っていればよかったのに。それからしばらくはまだ楽だった。上り坂だったけどたいした坂でもなかったし。(たぶんこのあたりで161号線から1号線に移ったように思うんだけどよく覚えてない。地図があったらわかるだろうけど)
 それからしばらくして道が3本にわかれた。名神、1号線、三条の3本。三条にいきたかったんだけど、あいにく三条にいく道は一番右。そこにいくためには名神にいく道を横切り、1号線にいく道を横切らないといけない。それはいくらなんでも無茶だ。でも名神にいくわけにはいかなかったので(当り前じゃ)、そこはがんばって渡って1号線にいった。1号線に向かう車が一番多かったのでさすがにそれ以上渡るのは無理だった。1号線に乗ったはいいけど、やっぱりこわい。無理やり渡ってきたんだから歩道なんてあるはずがない。肩身の狭い思いをしながら狭い路肩を走った。時々広いところもあったけどだいたい狭かった。しかも2回くらい途中で別の道が合流してくるところがあって、渡るのに苦労した。ひかれるかと思った。クラクションを鳴らされたくらいでひかれはしなかったけど(そのあとがどうだったかもよく覚えてないな。山科に入ったのはいつだっけ。わからんな。山科を走っていたときは1号線を走っていたな。そういえばすぐ隣を新幹線が通っていたっけ。たぶんあれは山科だったよな。ちがったかな)。
 それからまた坂を上った。そこら辺ではずっと1号線に歩道がついていたんだけど、突然ぷっつりとなくなり、はたと困ってしまった。普段だったら構わず突っ込んでいっただろうけど、かなり疲れていたのであまりいきたくなかった。それでもほかにいく道が見当たらなかったらあきらめて1号線を走っただろうけど、なぜか地下道なるものがあって、東山方面にいく歩行者は地下道にいけと書いてあったので、それを下りることにした。階段を自転車で下りるのはきつかったけど。地下道を下りたあと、どこにいけばいいのかわからなくなった。1号線をくぐったのはわかったんだけど、くぐったあとどうしたらいいわけ? くぐったところに上る階段があったけどそれを上ってもただ1号線の逆側に出てしまうだけだろうと思い、しかたなくそのまままっすぐ進むことにした。地下道がまっすぐ進んでいるということはこれに沿って進んでいけばきっとまた別のところに出られると思って。で、まっすぐ進んでいたらいつの間にか普通の道につながってしまった。どうなっているんだ? しかもそこがどこなのかもわからない。どっちを向いているのかもわからない。たぶん地下道からまっすぐきたから地下道の方向が1号線と垂直だとすると進行方向は北向きのはず。たしかに向かって左側に山が見えるからそっちが西だとすれば向かっている方向は北だ。じゃあこのまましばらく北に向かえば三条にぶつかるに違いない。そう思って北(だと思った方向)に進んだ。なんかやたら細い道とかを通って苦労したが、なんとか三条についた。
 さて、これで帰れそうだ。もう迷うこともないだろう。でもまだ結構たいへんだった。九条山の坂がきつかった。普段ならなんの苦もなく乗り切れるような坂だろうけど、それがきつかった。こいでもこいでも進まないように感じた。坂を上りきったらあとは下り。しばらく下ってトンネルをくぐると南禅寺あたりに出る。ここまでくればあとは北に上るだけ。鹿ヶ谷通りを北上して今出川まできて、それから白川に出て志賀越道を上れば…。家についた。疲れた。それ以外の言葉は出ない。それから、手が痛い。途中で買った氷ももう溶けている。かなり前に買ったウーロン茶(たぶんマキノ町のコンビニで買った)はあったかくなっている。もうなにもしたくない。手と首と額を冷やして寝たい…。

 しかし、長い旅だった。2日間で200キロくらい走ったわけだから当然といえば当然だ。辛いことばかりだったけど達成感はあった。でももう二度と行きたくない。あんな辛い思いはもうしたくない。でも今度行く時は日焼け止めだけは忘れないようにしよう(笑)。

− おわり −

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