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砂丘がみたい

■ 日程
 96年3月19日〜96年3月22日(1泊4日)
■ 走行距離
 約200km
■ 行程
3月19日 京都〜(R9)〜亀岡〜福知山〜養父(やぶ)

養父駅で休憩

3月20日 ・養父駅で駅員さんと会話
・八鹿病院で診察を受ける

養父〜(R9)〜八鹿〜ハチ高原付近〜どこかの休憩所

八鹿駅で仮眠


公衆電話で寝た…
3月21日 休憩所〜(R9)〜鳥取

砂丘センター泊

3月22日 砂丘センター〜鳥取駅(電車にて帰宅)

帰宅


 3月19日16時。なんかだるいなぁと思いつつ、ふと鳥取行を決行することにした。9号線に沿っていけばたどり着けるはず。距離は200kmくらいだし、まあなんとかなるだろう。

 堀川通りを下って、9号線のスタート地点に到着。さて、ここからだ。ちゃんと歩道もあるし道も平坦だ。
 10kmくらい走ったところから上り坂。かなりしんどい。やはりしばらく特に運動していなかったのが効いているようだ。しかしいきなり休んでいるわけにもいかないのでなんとかがんばり、なんとか坂を上りきることができた。ふう、しかしこんなペースでちゃんと鳥取までいけるのだろうか。だいたい出発したのが夕方だし、あっという間に暗くなってしまいそうだ。とにかく明るいうちにいけるところまでいきたい。
 と思ったもののやはりペースは上がらず、だいたい2時間ほどで亀岡に到着。ここまで20kmくらいか。夕食にしようかとも思ったが、ちょっと楽になってきたところだったのでもう少し先までがまんすることにした。しかし、亀岡を過ぎてしばらくすると、あたりがだんだん暗くなってきた。
 暗くなったら、もういつ休んでも同じことだ。が、休む場所がない。かなりお腹も減ってきたのでどこかで食事をしたいのだが、店は道の反対側ばかりにあって、なかなかうまくいかない。結局丹波町に入る少し前あたりで24時間営業の食堂をみつけ、そこで夕食をとることにした。

 ご飯を食べながらぼーっとテレビをみていると、これまでの苦労(とはいってもまだ40kmも走っていないのだが)が嘘のように思えてくる。「ずっとこのままここにいたい」という気になってくる…。まあ、しかし、ここで引き返すのもばからしいし、とにかく先へ進もう。
 少し休んだせいか、体が軽い。緩い上り坂をすいすい上ることができた。しかし、すぐにしんどくなってきた。ああ、やはりそんなもんか。。。
 出発してから40kmを少し越えたあたりで、「鳥取159キロ」という表示を発見。200kmあるのはわかっていたが、こうやって距離をはっきりと示されるとつらい。今まで走った距離のほぼ4倍くらいをこれから走らないといけないというのだから…。
 飯を食べてからしばらく走ったところで、店を見つけた。ここで食料を調達しておけば後々楽だろう。そう思い、パンと飴を購入。が、自転車のかごに入り切らなかったのでパンを1つ手にもったまま走ることにした。無理やり突っ込めば入ったかもしれないが、つぶれてしまうのがいやだったから。

 道の脇に休憩所みたいなところがあり、そこの駐車場のところをしばらく走った。まだ車通りも多いので、車道の脇を走るよりかなり気分的に楽だ。休憩所を通りすぎ、車道に出ようとしたとき…。路肩が狭くなるようだったので(ライトをつけていたが暗くて前がよく見えず、かろうじて反射板がわずかに光るのが見えたくらいだった)、白線を越えて車道にちょっと出ようかと思ったのだが、なんとなくちょっと遠慮して白線ぎりぎりのところを走ろうとした、その直後、
 「えっ…」と思った次の瞬間には天と地がひっくり返っていた。自分は背中を下にして倒れていて、自転車が自分の上に乗っている。左右は壁になっていて、ほとんど身動きがとれない…。背中と左手がなぜかつめたい。
 一瞬何が起きたかわからなかった。耳元に水が流れる音がする。呆然としながら、とにかくここから脱出しなければならないということに気付いた。荷物や自転車はとりあえず放っておくとして、まずは自分だけでも脱出しなければ。自転車をどけつつなんとか抜け出すと、左半身が水でかなり濡ていることがわかった。それから、手と顎と右膝が痛い。しかし、とりあえず、自転車と荷物も救出しなければ。鞄と地図とさっきかったパンをすくい上げ、最後に自転車。足が痛くて辛かったが、どうにか自転車を持ち上げることができた。
 やはり心配なのは自転車。走ることができない状態になってしまっていたらもうお手上げだ。少し前後に動かしてみたが、特になんともないようだ。パンも手に持っていたものを除いて無事のようだし、地図も少し汚れた程度ですんだ。着ていたコートがほぼおしゃか状態になってしまっているのではないかと思うが、暗くてよくわからない。左半分が濡れているのをなんとかしたいが、これ以外に寒さを防ぐものがないからこのまま着ていくしかない。痛い顎や膝も気になるが、こんななにもないところで立ち往生しているわけにもいかない。痛いのをがまんして、自転車に乗った。

 そうだ。ころんだ状態をほとんど説明していなかった。簡単にいえば、溝に落ちたのだ。深さは自転車の高さくらい、幅は人がちょうど入れるくらいの(よりは若干広かったかもしれない)溝。しかも、みずが流れていた。ほぼまっすぐ突っ込んで、まず前輪が落ちて半回転。手をついたはずだから体は完全には回転しなかったけれど、着地(?)したあとに体をひねって腰が下にいく形になったんだと思う。顎と膝をいつ怪我したのかわからないが、膝は突っ込んだ直後(溝に完全に落ちる前)に地面の部分で打ったのではないだろうか。顎もいつ擦ったのかわからないが、落ちたときに溝の横の部分で擦ったのかもしれない。いずれにしても助かったのは頭を打たなかったことだ。頭を下手に打っていたら…。手も数ヵ所怪我したが、手袋のおかげで軽くすんだはずだ。それから、左手に持っていたパンにもひょっとしたら助けられたのかもしれない。
 また、ラッキーだったのは眼鏡がなんともなかったことだ。ころんだ直後は気が動転していて気付かなかったのだが、眼鏡ははずれずにすんでいた。眼鏡はちょっと広がってしまっていて結構はずれやすくなっていたのだが、ころんだときにはずれなかったのは幸いであった。

 しばらく走って、やっと明るいところを見つけた。交差点で、看板が明りで照らされて明るくなっているようなところ。そこに自転車を止め、手やコートがどんな具合になっているかを確認することにした。
 手袋をはずすと、数ヵ所怪我している。よくみると手袋は破れていて、手のひらのほうがどろどろ(泥がたくさんついている)になっていた。いくらなんでもこれをはめ続けることはよくないだろうと思い、はずしていくことにした。手がつめたくなるが、傷に泥のついた手袋を当てているよりはましなはずだ。
 コートを脱ぐと、左手から背中にかけて一面泥だらけ。しかもかなり濡れている。泥をちり紙で拭いたが、ほとんど意味がない。みた目が多少ましになったところで妥協した。
 顎に手をやると、血が。顎もやはり怪我しているようだ。ちり紙で顎を押さえ、手の怪我している部分もちり紙できれいにした。薬類は持ってこなかったので、つばをつけておくくらいしかできなかった。水があれば傷口を洗うこともできたのに。
 疲れも出てきたので、そこらにしゃがんでパンを食べることにした。1つ食べているうちに妙に寒くなってきて結局すぐに出発。そういえば、その時にカイロをだしたんだっけ。

 状況は一応わかったけれど、対処のしようがない。とにかく先へ進むしかない。70kmくらいのところでまたしんどくなってきて、そこからしばらくいったところにあったラーメン屋に駆け込んだ。たしかすでに1時半くらいだったように思う。出発してからここまで80kmも走っていて、時間も8時間になろうとしているのに、そのラーメン屋でかかっていたラジオがα-station(京都のFM局)だったのはちょっとショックだった。まだ福知山だったからそんなもんかぁ…
 ラーメンを食べて、再出発。暖かいものを食べたからそれほど寒くないかと思ったが、甘かった。コートは多少は乾いてきていたが、まだ濡れているし、少しでも体を動かしていないとだめなようだ。緩い上り坂を一生懸命上っているくらいの時がちょうどいい感じだ。下り坂は夏と違って無茶苦茶寒い。下り坂で自転車をこいでみてもほとんど効果はなく、ただひたすら我慢するしかなかった。
 さらに走って、ようやく100kmくらいのところに到着。また辛くなってきた。打った右膝がすごく痛くなってきたが、まだ2時台だしどうにもできない。どこかで休むことができればいいのだが、休める場所はどこにもない。道端で休んでも無駄に体力を消耗するだけだ。寒さと恐怖でものすごい寒気をおぼえた。


 120kmくらい走ったところで、「森医院」という看板を見つけた。看板に明りがついているのをみると、ひょっとしたら深夜でもやっているのかもしれないという気がしてくる。わずかな希望を抱き、矢印の書いてあるほうへ曲がってみた。近くに駅もあるらしいから、病院がだめでも駅で休むことができるかもしれない。
 曲がってしばらく走ったが、暗いだけでなにも見つからない。踏切をわたってすぐ左に建物があり、「これか?」と思ったが、それは公民館だった。公民館を通りすぎるとT字路にぶつかったが、どちらにいけばいいのかまったくわからない。しばらく迷ったが、考えてもわかるはずもなく、適当に左に曲がってみた。左に曲がってからも明りはほとんどなく不安だったが、なんとか駅を見つけることができた。病院は…、病院は駅の隣にあったのだが、もちろん閉まっていた。

 駅の中の電気が消えているのをみて、「はまった」と思った。とんだ無駄足だ。だけど、駅についたらトイレにいきたくなってきたので、トイレに寄ってから立ち去ることにした。休めないのであれば、ここに長くいる必要はないから。トイレにいこうとしたが、入り口がみつからない。どうも、駅の中からでないとトイレにいけないらしい。それならトイレの明りをつけておくなよ〜と思いながら、だめでもともとと駅の扉を動かしてみた。あれ、開いた。なんのことはない、鍵はかかっていなかったのだ。ホームに出るところにある扉も鍵はかかっていなくて、どうにかトイレにはいることができた。
 駅の建物の中に入ることができたのだから、ここで休むのも一つの手だ。暖房はないけれど、外よりはましだ。寒いので缶コーヒーを買って、パンでも食べながら朝まで休むことにしよう。朝になれば病院も開くだろうし、それまでがんばることにしよう。
 休んで少し落ち着いたら、妙にコートのことが気になり始めた。このままにしておきたくはない。トイレの水道の水もあるし、ここで少し水洗いしたらましかもしれない。今考えると、このチャレンジはかなり無謀なものだったのだが、そのときはそうは思わなかった。コートを脱ぎ、トイレに向かう。まずは汚れがひどい手の部分を洗う。最初はあまり濡らさないようにと思っていたのだが、思ったより広い範囲が派手に汚れていて、結局ほとんど全体がびしょびしょになるまで洗ってしまった。汚れのほうはだいぶましになったが、においはとれなかった。適当なところで妥協して、と、そこで、「どうやって乾かすのだ?」と気付いた。

 とりあえずはまあ、しぼるよなぁ。だけど、ここまで濡れていたら、干しておいたって朝までに乾くはずがない。一番早く乾かす方法は着て乾かすことだろうけど、こんな寒いときにそんなことをしたらほんとうにやばそうだ。いろいろ考えた挙句、しばらく干してから、適当に乾いたところで着ることにした。が、着た瞬間、ものすごい寒気…。
 その時間、朝5時。朝一番の電車が来る時刻は6時10分。まだそれまでですら1時間もある。これは、着るのは無理そうだ。駅の窓のロックのところにコートをかけ、朝になるのを待つことにした。
 朝になったら病院にいきたい。膝を診てもらいたい。入院とかいわれたらラッキーかな(笑)などと思いつつ、その時を待つ。寒くて眠ることもできぬまま何もない駅舎のなかで長い夜をすごした。

 午前6時半ごろ、駅の職員の人が来て、ストーブをだしてきて焚いてくれた。おかげであたたまることができたし、濡れたコートを乾かすことができた。しばらくは体を暖め、ある程度落ち着いてから、コートをストーブにかざして乾かした。コートから白い湯気がもうもうと出てくるのは、なんとなく不思議な感じがした。
 コートが完全に乾くまでは駅にいることにして、しばらく暇になったので駅員さんと話をしていた。ここまで自転車で来たことや、怪我をして病院にいこうと思っていることなどを話した。すると、「今日は祝日だから病院やすみだよ」
 どどーん。今日は3月20日、春分の日か。そんなことすっかり忘れていた。どちらにしてもコートが乾くまではいるつもりだから、駅にしばらくいるのはいいとして、膝はどうしよう。駅員さんに他の病院の場所を聞いてみたが、近くにすんでいるわけではないらしく、祝日でもやっている病院まではちょっとわからないらしい。そこで、森医院に電話してもらったりしたけれどだめで、自分で出向いていってみたけれどだれも出てこなかった。
 9時半。コートもほとんど乾いた。相変わらずにおいはとれなかったけれど、一応寒さをしのぐことができるようにはなった。そんな頃、駅員さんが、祝日でも見てくれる病院を探してきてくれた。駅からバスで20分くらいのところにある八鹿病院というところだそうだ。病院の方に行くバスは10時8分らしいので、まだ少し時間がある。が、まあ駅にいてもやることもないし、バス停の前で待つことにした。田舎のバスって人がいなかったらすぐにいっちゃったりするし(笑)。
 が、時間をすぎてもバスはこない。遅れているにしても、遅れ過ぎだ・・。と、バス停に書いてある表示をよく見ると、待っていたバスは祝日は運休らしい。。ああ、また祝日トラップ。次のバスは11時28分で、結局その時間まで駅で待つことになった。自転車で行くことができればすぐなのだろうけど、自転車に乗れるくらいなら病院に行く必要はないもんな。

 ぼくも駅員さんも暇だったので(祝日だから乗る人も少ないし)なんかいろいろ話した。どうもその駅は町がお金を出して経営していて、切符の売り上げの5%だかでなんとかやっているらしい。あと自販機の売り上げと駐車場の料金くらいしか収入源はなくて、かなり赤字経営らしい。田舎の駅だから電車がたまにしかこないし、ほとんど人も乗らないのに駅に人がいないといけない(駅員のことね)というのはおかしいし、いてもほとんど暇な時間なのが辛いといっていた。拘束時間は11時間なのに、実動時間は4時間くらいだそうだ。それから、切符を発券する機械が古くて使いづらいともいっていたな。たぶん田舎の駅ってどこもこんな感じなんだろうな・・。

 バスがくるちょっと前くらいの時間にバス停にいったんだけど、またバスがこない。しばらく待って、来たのは結局35分くらいだった。
 バスはくねくねと曲がる道をいろいろ通って病院についた。今の道を戻れといわれても絶対に戻れなさそうだ。
 しばらくして病院についたのだが、入り口がわからない。時間外の入り口というのがあるからそこから入るというふうに聞いてきたのだが、その入り口はみつからず、実はふだんの入り口(なんか変な表現だが)から入ればよかったらしい。
 受付にいって、膝をけがしたことをいい、しばらく待って、検査。レントゲンを撮られた。結果は、なにも異常なし。ただの打撲。まあ、打った直後に自転車に乗って走ることができたくらいだからそんなもんだろうとは思ったけど。で、湿布をもらって終わり。しかし、保険証を持ってきていたのはよかった。それでも2910円もかかったけど。
 病院を出たら、今度はバス停の位置がわからなかった。入ったときとは別の出口から出たから(こっちが時間外の入り口だったのかな?)そこからどっちにいけばいいのかわからなかったのだ。迷ったあげく一度病院に戻って、それから入った入り口を探してなんとかバス停も見つけることができた。
 バスがくるまでしばらくあったので、その前に飯を食うことにした。だいたい病院についた時点で昼くらいだったから、腹も減った。だいたい、朝からなにも食べていないんだった。さっき迷ったときにおこのみ焼き屋を見つけていたので、そこに向かう。そしておこのみ焼きを食べながら、「やはり今日のところは電車で京都に帰ろう。自転車はまた後日とりにくればいいし」と思った。しんどくてだいぶ弱気になっていたし。
 食べ終わってバス停に行くと、まだ少し時間があるみたいだった(時計を持っていなかったので正確にどのくらいあるかはわからなかったのだが)。とはいってもどこかに行くあてもないし、おとなしくバス停で待つことにした。
 バスが来て、乗り込む。と、、腹が満たされたからか安心したからか、眠気が襲ってきた。うとうとして、ふと気付き、バスの料金表をみると、、行きに払った料金をすでに超えていた。げっ、、行き過ぎたのか・・。「ああ、おりなきゃ」ととっさに降り、行きに払ったより50円高いだけだったのでそうたいしたことはないだろうと、逆向きに歩いていくことにした。バスはちょうど9号線を走っていたところで、自転車で養父駅までいったときと同じ道を歩けば戻ることができるはずだ。

 しばらく歩いたが、全然たどり着けない。と、トンネルがあって、そこをこえないといけないようだ。狭いし、歩いて通るのはちょっとこわそうだったのでその近くにあったバス停から乗ろうかなと思い、何時にあるのかなとみていると、バスが1台通り過ぎていった。あ、あのバス? 追いかける元気もなく、あきらめて歩くことにした。次のバスまではまだ1時間も待たなければいけないし、歩いた方が早いだろう。
 トンネルをすぎてもまだまだだった。夜通ったときは暗かったし、自転車に乗っていたから前々感覚が違う。結局4kmくらい歩いたのかな、やっと駅についた。50円損したばかりか、1時間以上時間を損して、しかも疲れた・・。だいたい足が痛くて病院にいった帰りに1時間も歩くなんてなんかばからしいなぁ。。。
 駅についたら、すでに3時15分。予定では2時にはついているはずだったのだが、今となってはどうしようもない。バスで居眠りしてしまったのが運のつきだ。まあ、しかし、あとは電車に乗って京都まで帰るだけだから、1時間くらいのロスはたいしたことはないか。3時36分に福知山行きがあって、それに乗ることにした。切符を買おうとしたら、すでに切符の販売は終わっているらしく、電車の中で買うことになった。
 自転車は、そこらに置いていくわけにもいかないので、駅の駐輪場に止めさせてもらうことにした。1日50円らしいので、まあすぐにとりにくればたいしたことはないだろう。
 電車に乗り、2駅くらい進んだところで、ふと思う。「別に今日帰ることはないのか」と。とりあえずまた駅に泊まって(今度はちゃんと寝て(笑))、明日元気になったら自転車に乗るっていうのはだめなのかな。今の時間から乗るとなると明るいうちには3時間くらいしか走れないから、明日起きてからなら何の問題もないように思う。今一番しんどいのは眠たいということだけだし、それに、鳥取まで行くんだって思ったらやっぱり行きたいし・・・。

 そう思って、その駅で降りた。逆向きの電車がくるまではしばらく時間がありそうだからベンチに座ってしばらくぼーっとしよう・・。が、、電車がこない。。特急だか急行だか知らないけど、2台通り過ぎていっただけ。しかも、放送が「まもなく2番線に列車がまいります」だったりするからややこしい。「通過します」ってはっきりいってくれたらいらん期待をしないですむのに。
 待っているあいだにトイレにいきたくなってきた。駅の中にあるんじゃないかと思ったら、甘かった。改札をでないとトイレにはいけない。我慢しようかと思ったけど、いつくるともわからない電車を待っているのもしんどいし、改札を通ることにした。まだ切符を買っていないから、「養父駅から来た」っていってお金を払って出ることになるのかな・・・。
 と、思ったら、なにもいわれなかった。養父駅と同様、もうすでに改札の業務は終了しているらしく、期せずして養父〜梁瀬間をただで乗ってしまったことになった。まあ、どっちにしてもこれから戻るつもりなんだからいいか・・。で、トイレに行くと、紙がない(要するに大だったのね(笑))。紙は自分で用意しろということか。しかし、かなり持ってきたつもりだったけど、こけたときにだいぶ使ってしまったからもう残っていないかな・・。どうしようかと悩みつつ、暑くて汗が出てきたのでタオルでもだして顔を拭こうかと、鞄の中に手を突っ込んだら、「ざくっ」
 げっ。。中で剃刀が開いてしまっていたらしく、見事に手を切ってしまった。幸い傷は浅かったが、すぐに血が出てきた。ちり紙がなくて困っているときに・・と思いつつ出したタオルの袋を見ると、中にポケットティッシュ発見。あ、まだあったんだ。少し安心。が、まずは切った指をなんとかしなければ。血は止まる気配もない。
 ま、押さえておくだけでも少しは違うだろうと、ちり紙で押さえながら、用を足した。トイレから出ようとすると、電車がきたという放送が。足が痛いのを我慢して階段をのぼり、降り(降りるときの方がしんどかった)、ぎりぎり電車に乗ることができた。これを逃したら次はいつくるかわからないしな・・。あ、そういえば、電車は手で扉をあけないとあかないというドアだったんだっけ。

 電車に乗って、ふたたび養父へ。その間も検札は一度もこなくて、またただで乗れてしまった。養父駅につくともうすでに駅員さんは帰ってしまったあとで、何ごともなく降りてしまった。うむむ。まあ、梁瀬にいってトイレにいっただけだし、まあ許してちょ・・(^^;
 駅のベンチに腰掛け、休む。もちろんストーブはもうしまわれてしまっているからたいして暖かくはなかったけど、外にくらべたらかなりましだ。明日に備えてと、病院でもらった湿布を足に貼った。膝を冷やすのはいいが、凄く寒い・・。そのせいもあってか、全然眠ることができる状況ではなかった。昨日にくらべれば、まだコートがきれる分ましだが、それでも眠るのは無理だ。10分か20分くらい記憶がない時間があるくらいだった。
 どうにも寒くてやっていられないので、なんとか隣の駅(八鹿駅)まで行ってみることを思い付いた。八鹿駅の方が養父駅より大きな駅らしいし、そこにいけばここよりまともな状態で休めるかも知れないしと、足が痛いのを我慢して自転車に乗ることにした。駅に向かう道はよくわからなかったのだが、適当なところで曲がったら、駅の前の道の隣の道(線路を挟んで隣なんだけど)だった。
 一応切った指の血は止まっていたんだけど、そのあたりでまた傷が開いてしまったらしく、手に血がついていた。最初どこから血がついたんだろうと思ったが、なんのことはない、そこから出ていたのだ。血が出ているのはわかっても暗くてほとんど見えないし、駅につくまでそのまま走ることにした。その道をしばらくいったら、結局駅の前の道と合流することができ、やっと駅につくことができた。
 駅について、まずちり紙とかを売っていそうな店を探した。まだあまっていることはあまっているのだが、いつまた必要になるかわからないので、今のうちに買っておこうと思ったわけだ。が、結局店はみつからず、あきらめるしかなかった。駅にも売店があったが、すでにしまっていた(7時くらい)。ま、ストーブのきいた待ち合い室があったので、それだけでもだいぶ助かったけど。

 かなり疲れていたので仮眠くらいとりたいと思ったが、やはり椅子で寝るのはしんどい。30分くらいうとうとしただけで、また起きてしまった。
 朝まで駅にいようかと思ったのだが、考えたら京都に帰らないといけない用事があったのを思い出し、いけるところまで先に行くことにした。もう9時くらいだったけど、鳥取まであと80kmくらいだし、明日の朝までにはたどり着けるはずだ。
 が、駅を出ていきなり迷った。来たときとは別の道から9号線に戻ろうと思ったのだが、どこにいるのかもわからなくなってしまった。福井で迷ったときもそうだったけど、自分がどこにいるのかわからない状態では、地図は全く役にたたない。わからないながらも適当に走っていたら、多少交通量の多い道にぶつかった。ひょっとして、これが9号線かなと思ったが、何も証拠がない。とりあえず、あまり自信がなかったけど、その道にそって進んでみることにした。
 途中、127kmという表示(起点からの距離ね)があって、9号線「らしい」ということはわかったのだけど、「9」という数字が出てくるまでは安心できない。迷って適当に走っていたら正しい道に出たなんていう運のいいことは、今回の旅行に関しては絶対になさそうな気がしていた。

 2kmかそこら走って、やっと「9」の文字を見つけた(って別に127kmから2km走って129kmをみたってわけじゃないよ(笑))。おお、今までろくなことがなかったけど、ここに来て運がむいてきたのかも知れない。道ばたにある距離の表示もだんだん増えていることから、進む方向が正しいということもわかったし、違う道を走っているのかも知れないという不安はなくなった。
 なんだかんだいってほぼ丸1日休んだせいか、疲れもあまりない。そうはいっても、膝は痛いし怪我もいろいろしているししんどいことには変わりないけれど。それから、やはり、寒い。手の指や足の先など、末端部分が冷えきっている。考えたら最初は手袋をしてきていたんだよなぁ。体自体は動かしているからそれほど寒くないけれど、下り坂はやはり地獄だ。
 そういえば、「ループ」なるものを通った。ゆるい上り坂だったので、まあまあ快適だったかな(のぼっているときの方が寒さがましなのだ(笑))。橋の上から下を見ると、やはりかなり高い。これだけ一度にのぼろうと思ったらかなりきついよな・・。とはいっても、なんか、位置的には全く進んでいないのだから、ちょっと空しい。。
 このあたりから、道のわきに雪がちらほらあらわれ始めた。ループをのぼりきったあたりには、50cmくらいの厚さの雪が残っていた。なんか層状になっていて、雪がつもっては排気ガスでよごれ、また雪がつもっては・・という様子が見えた。考えたらこの頃はまだそんなものをみているような余裕があったんだなぁ。

 どうにも寒くなってきて、暖かい缶コーヒーでも買おうかなと(甘いものはだめなのだが、このときは、もう、ほかになにもないし)思って自販機に近付くと、売り切れ。仕方がないので次の自販機まで我慢・・。10分くらいで次の自販機を発見したのだが、財布をあけてがくぜん。小銭数十円と、札は5000円札からしかない・・.5000円札では何も買えない。どこかでくずせたらいいけど、そんな場所があるとは思えないし(っていうかそんな場所があるならそこで買えるよな)。何度かドライブイン(とはいっても人はいなくて、自販機があるだけね)はあったけど、1000円を100円にくずす両替え機はあっても、5000円はくずせない。金は一応あるのに、何も買うことができない。
 腹も減ってきたけど、店も何もない。ドライブインでは売っているけど、飲み物が買えないのと同じ理由で買うことができない。まだ1時頃だったから店があればやっているかも知れないという期待はできるけど、だいたい集落すらもほとんどないようなところに、店があるとは思えない。
 そこからさらにいくと、ドライブインすらもなくなり、自販機が2つくらいと電話ボックスしかない、ちょっとした休憩所がたまにあるだけになった。休憩所とはいっても建物があるわけでもなく、単に車を止められる場所があるだけ。車なら止まって休むこともできるだろうが、自転車ではどう考えても不可能だ。
 そのうち、寒くて腹が減っただけではなくて、今度は眠たくなってきた。しかし、休むことができないときに寝ることができるはずもなく、こうなると、もう、眠いのを我慢して走って居眠りして事故死か、あるいは寒いのを我慢してそこらで寝て凍死の究極の二者択一だ。

 だんだん、目をあけたまま意識がもうろうとしてきて、自分の自転車のライトの光が前輪にあたってできた影を見て驚いたりした。はっとしてブレーキをかけて、2、3メートルふらふらと進んで、ふと我にかえるといった感じ。暗くなっているから、たぶん溝だと思ったんだろうな・・。やはり、溝に落ちたあとだけに、たしかに道の暗い部分はちょっと恐いというのはあったけど、さすがに自分の自転車の影に驚くというのはかなりやばいような気がする。頭も半分死んだような(寝てるともいう)状態だけど、自分がやばいということは、なんとなくわかった。とはいっても眠るところなどどこにもなく、一番まともそうなのは電話ボックスの中という・・・。
 しばらく走って電話ボックスを見つけ、少しそこで休むことにした。中に腰をかけられそうなところがあったからそこに腰をかけ、電話帳が置いてある台にもたれ掛かると、ものすごく眠たくなってきた。こうなってしまうと、いくら頭で「寝たらやばい」と思ってもどうにもならない。台にもたれ掛かった状態で、眠りについた。

 寒い・・・。あまりの寒さに、目がさめた。まだ生きているようだ。よかった。電話ボックスの周りのガラスを見ると、雪がついている。げ、それは寒いわけだ。どのくらい寝ていたのかわからないが、眠気はかなりましになった。が、寝る前よりもかなり寒い。とりあえず、時間をきくために117をまわした(なんか声をきいて落ち着きたいというのもあった)。3時くらいだった。寝たのが確か2時くらいだったと思うから、1時間しかたっていないのか。しかし、目がさめなかったら本当に凍死していたかも知れないけど。
 外は寒いから、電話ボックスの中にいると、ガラスが曇ってしまって中の様子がまったくわからない。車で通っても、曇ったガラスで光が反射して、中に人がいるかどうかなんてわからないだろう。わかったとしても、普通に考えて電話しているとしか思わないだろうな。
 どうにも寒いので、靴下をもう1本出して履いて、カイロももうひとつ出して、多少はましになった。眠気はちょっと眠ったことによってだいぶおさまったので、ふたたび出発することにした。だいたい、まあ、その場で留まってもしょうがないし。
 地図によると、10kmくらい走ったところにドライブインがあるらしいので、がんばってそこまでいってみよう。腹が減ったのと寒いのとで頭がぼーっとしながらなんとか走りつづけた。途中自販機を見つける度、5000円札しかないことを悔やんだ。もう、5000円札を入れて1000円と認識されてもいいからと思っていれてみたが、単に吐き出されるだけだった(って当たり前か)。
 午前5時くらいにそのドライブインについた。遠くから見てけっこう明るかったので店があるのではないかと期待したが、あったのは自販機ばかり。確かに店もあることはあったのだけど、やっていなかった。とりあえず自販機のある建物に入って、そこで朝まで休むことにした。扉を閉めてもあまり暖かくはないが、外からくらべればましなはず。電話ボックスとくらべても、たぶんましなはずだ。自販機の出す熱で多少は暖かかったのかも知れないけど、どうなんだろうな。
 中の椅子に座って、ふたたび仮眠。電話ボックスよりはかなり快適だ。まああの環境よりひどいところなんてそうそうないだろうとは思うけど。そうはいってもちょっとうとうとした程度で、眠ることはできなかった。寒かったし、腹も減っていたしな。それでもなんとか朝まで耐えればなんとかなるんだから、なんとかがんばろう。

 8時少し前になって、少し外に出てみた。まだかなり寒いが、日が出てきていい感じだ。店の方に行ってみると、すでにあいていた。「おおおお!」感動だ。店があいているというだけでこんなに感動できるというのが、なんか笑えた。中に入って朝食を頼み、食べた。ああ、なんともいえない至福のひとときだ。あったかいみそ汁がすごくうれしかった。あんなにおいしいと感じる食事は、なかなかないだろうな。
 朝食をけっこう時間をかけて食べ、さて出発。と、思ったのだが、なんか妙にカップラーメンが食べたくて、思わず買ってしまった。たぶん昨日すぐそこにあるのに手に入れられなかったものだったからっていうのがあるんだろうな。朝食の直後に意味もなくカップラーメンを食べ、今度こそ出発。日もだいぶのぼってきて暖かくなってきた。鳥取まであと20kmとちょっと。ここまでくればあとはなんとかなるだろう。
 と思ったのだが、しばらく走ると妙に眠たくなってきた。昨日の緊張感から解放されたのと、暖かくなってきたのと、腹が満たされたからかな・・。まあ、出発してからほとんど寝ていないというのが一番の理由なんだろうけど。なんとか目をさまそうと、冷たい飲み物なんかを買って飲んでみたんだけど、飲んだ直後はよくてもしばらくするとまただめだ。さらにアイスまで買って食べてみたんだけど、たいして効果はなかった。だいたい昨日寒くて死にそうになっていたのに、朝になって暖かくなったからってアイスを食べるなんてなんか妙な話だけど。眠気はとれず、ぼーっとしつつゆっくり自転車をこぎ、なんとか先へ進んだ。
 途中で、地図に載っていた砂丘センターというところに電話して泊まることができるかどうかを確認した。けっこう早い時間につきそうだから、今のうちに電話しておけばなんとかなるかな・・。季節が季節だから満員ってことはないだろうけど。ま、なんなく宿を確保することができ、ひとまずは安心だ。
 が、つくまでがまだ問題。ついてしまえばあとは寝るなりなんなり好きなようにできるが、それまでは寝るわけにはいかない。しょっちゅう休みながら、ちょっとずつ進んだ。
 砂丘の近くの道も走った。海がけっこうきれいだった。砂の中に自転車で少し突っ込んだら、1、2メートルくらい進んだところで止まってしまった。ははは。しんどかったけどなんとか、やっとのことで砂丘センターの入り口まで辿り着いた。
 地図ではわからなかったのだが、砂丘センターはけっこう高いところにあるらしく、そこから急にきつい上り坂。疲れきった体でしばらくはがんばって自転車をこいだのだが、途中でたえられなくなって、しかたなく押して歩いた。考えたらここまでの道のりで自転車を押して歩いたのは初めてか・・。
 坂をのぼって、なんとか到着。自転車を止めてチェックインをすませて時計を見ると、12時半。思ったよりは遅かったけど、チェックインするにはかなり早い時間だな。余裕があればぶらぶらして観光してきてもよかったんだけど、もうそんな余裕もなく、部屋に入ってお茶を飲んでいたらどうにも眠たくなって寝てしまった。夕食のときに一度起きて、(寝ていたので「かぜひくよ」っていわれてしまったが、もうそんなことどうでもいいくらい眠たかったのだ(笑))それから今度はふとんで、寝た・・・。

 さて、次の日。一晩寝たらだいぶ元気になったが、これから京都まで走って帰るのはかなりつらそうだ。それに、前にも書いたように京都に帰らないといけない用事があったから、鳥取に自転車を置いて電車で帰ることにした。まだ時間もあるし、せっかくだし砂丘にいってみることにした。って、そもそも鳥取に来た目的はそれだったような気がするが・・。
 そういえば、昨日の夜はかなり雨が降っていた。今日は曇りで、風はかなりつよかった。まあ、昨日の雨で砂が湿っていたからか、砂が飛んできて痛いというのはあまりなかったけど。砂丘にいく前に売店で土産を買った。梨ふくとかいうおかし。甘くて食べられないかも知れないけど、まあ自分で食べるわけじゃないからいいか。で、土産を入れた袋を持って砂丘にいったもんだから、風で袋があおられて大変だった。その帰りに袋の持ち手の部分が茶色っぽくなっていて、なんだろうと思ったら昨日の傷口がまた開いてしまっていたのだった。もうすっかり忘れていたのに。
 砂丘から鳥取駅まで自転車で走って、駅前に自転車を置いて電車に乗り込んだ。時間があるしお金はないから鈍行に乗ったのだが、かなり時間がかかったな。やはり単線はつらい・・・。しかし、電車に乗ってぼーっとしていると、昨日のことがなんか夢だったようにさえ思えてくる。なんか、平和だな・・。


 今回は、これまでの旅行で初めて、自転車を置いて帰ってきてしまうという結果になってしまった。そのしばらくあとにとりにいったのだけど、そのときの話はまた後日(実はそのときはメモをしていないので思い出して書くしかないのであった・・)。

(今回のところは、おわり)

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