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阿蘇へ

8月16日 (23日目)

 朝は8時くらいに起きた。外は、快晴。今日も暑くなりそうだ。こんなに天気がいいのはこの旅行で初めてのことかもしれない。初日は結構晴れていた気がするが、どうだったかなぁ。
 朝食を食べてゆっくりしていたら、結局出発は10時半ごろになってしまった。水筒替わりのペットボトルにお茶をいれてもらい、昼の弁当までいただいてしまった。感謝、感謝。たぶん、鬼ノ城(きのじょう)かその少し先くらいで昼になるんじゃないかと思うので、弁当はとてもうれしかった。
 180号線に合流するところまで、河内さんが一緒に走ってくれた。結構ゆっくり走っていたので、180号線についたのはすでに11時過ぎ。河内さんは月曜か火曜くらいに今度は九州に向けて出発するといっていた。お気をつけて。
 そこからは一人で、ひたすら走る。高速道路の下を2回くぐって、右のほうに山が見えてきた。あれかなぁ。山の上のほうに少し茶色い部分が見えてそれがそうだといっていたっけ。遠くてよくわからないが、たぶんあの山なんだろう。
 まもなく、山の方へ曲がる。しばらくして看板発見。距離は、5キロちょっとくらいだったかな。少しのぼると、砂川公園という公園があって、たくさん人がいた。川ではしゃいでいる子供もたくさんいて、なんか気持ちよさそうだった。

 公園を通りすぎ、坂が急になってきた。ちょっとがんばらないといけないな…。勾配は、阿蘇と同じくらいなのかなぁ。でも、なんかそれ以上にきつかった気もする。まあ、荷物もあったし、そのせいもあるのだろうけど。何回も休みながら少しずつ進んだ。自転車が立たないからゆっくり休むことができず、それがちょっとつらい。
 まだ1キロくらいしかのぼっていないところで、休もうとしたら突然目の前が真っ白になった。「えっ!?」な、なんかやばそうだ…。自転車から降りて、目を閉じて下を向いて…、、それでも自転車を支えていないといけないし…。倒れて横になりたかったがそうもいかない。しばらく自転車に体をあずけた感じの状態で我慢…。しかも、なんともいいようのない気持ち悪さ。暑さのせいか、疲れのせいか、たぶんその両方なんだろうが、ものすごくしんどかった。
 多少ましになってきたところで、少しずつ歩いて、なんとか陰になっているところまで進み、そこでしばらく休む。休むといってもしゃがんだりできるわけではないし、大変だ。もう自転車をほっぽりだしてそこらへんに寝転びたい…。
 日陰でしばらく休んでいたらだいぶ回復してきた。普通こんな状態になってしまったらここで引き返すんだろうけど(実際ぼくも引き返そうと何度か思ったし)、ここまできて戻るのもなんだかくやしいのでがんばって進むことにした。まだ走るほどの元気がないので自転車を押して進む。しかし、押して歩くのは時間がかかる…。最初は3km/hくらいのペース、あとは4.5km/hくらいのペースで歩いた。歩きでも、しょっちゅう休みながら、休む場所を選べるほど体力がなく、大変だった。
 鬼の釜とかいうのがあって、そこでちょっと休憩。が、自転車を止められる場所がなかったのでしばらくいただけでさっさと先へ。このあたりからは自転車に乗って走ることができた。よかった。と、まあそこからはたいした距離はなく、なんとか鬼ノ城に到着することができた。時間はもう12時半過ぎ…。かなりかかってしまった。GINさんのところに3時というのは、かなり厳しいな。が、電話もないし、連絡のしようがない。もう少し先で電話を見つけたらそこから連絡することにしよう。

鬼ノ城より岡山を望む さて、鬼ノ城。苦労してのぼったのだからみていかなくては。もう昼だったけれど、とりあえず先にみてから昼食にすることにしよう。自転車を止め、トイレで手を洗い、鬼ノ城を散策。結構広く、まわったら30〜40分くらいかかるかな。
 最初にみたのは「土塁」。大きな岩を積み重ねてまわりに土を塗ったものらしい。が、こんな大きな石、どうやって運んできたのだろう。
 南側のほうは、岡山の風景が一望できる(右は、その写真)。展望台と書いてある場所も一応あるが、そこでなくてもどこからでも見える。たしかにこれはきれいだ。天気もよく、よかったよかった。
 道は上ったり下ったり、途中にいろいろ遺跡があってなかなかすごいなぁと思った。水路のあとだとか、門のあとだとか…。
 そうだ。ここにいったときに資料(といってもB4のわらばん紙2枚程度だけど)をもらってきたはずなのだが、どこへやってしまったのだろう。旅行のメモを書いたノートに挟んであるかと思ったが、みあたらない。うむむ、まあ、しかたないか…。覚えている範囲で、解説(笑)。ここには、昔、中国から渡ってきたという、山族が住んでいて、城をつくっていたらしい。そして、たまに町に出ては悪さをしていたんだそうな。それを吉備津神社にまつられているなんとかいう人が倒したというのが、桃太郎伝説の元になっているらしい。と、まあ、そういう場所です。遺跡としてもなかなか広くて大がかりなので実は結構価値があるものなんじゃないかな。
鬼ノ城の遺跡 一通りまわって駐車場まで戻り、さてと、食事。すわれそうな場所があったのでそこへ。飲むものがすでになくなってしまっていて、しかたがないのでトイレの横にあった水道の水を汲んだ。飲んで大丈夫なのかどうか知らないけど…。
 食事を済ませ、時計をみると、すでに2時半。ああ、もう絶対に間に合わないな…。こんな時に携帯電話でもあったら便利なのだが、この山のなかでは入らないかな…?

 さて、出発だ。ぼくの地図には、ここから北に抜ける道があると書いてあるのだが、河内さんの地図ではそんな道はなく、ちょっと不安だ。駐車場に車を止めていた人に聞いてみたが、わからないという。とりあえず岩屋というところまでは道があって、そこも一度みてみるといいといわれたのでそこまでいってみることにした。そこには集落があるらしいから、そこで道を聞けばいいかな。
 岩屋に向かう道は、最初下り坂で、さーっと気持ちよく下った。そして、また上り坂。ああ、大変だ。と、岩屋付近についたはずなのだが、道がよくわからない。なんとか家を見つけその家の人に道を聞くと、北へ抜ける道は、「あることはあるが歩けるような道ではない」らしい。歩けないくらいなら自転車でいけるはずもなく、戻るしかないのか…。岩屋をみていくかどうか迷ったが、時間もないしさっさと戻ることにした。ああ…。
 しばらく下って、また上り坂だ。なんか、精神的ダメージも大きかったのか、ものすごくつらかった。どうにかこうにか鬼ノ城まで戻り、あとは下り坂。坂が急でカーブも多い…。快適といえばそうだが、ちょっとこわい感じ。曲がり切れずに溝に落ちそうになったし。が、まあ、上りに比べたら無茶苦茶楽だ。それに、速い速い。砂川公園あたりで自販機を見つけて少し休憩。ふう。
 ようやく下までおり、180号線を探す。もと来た道を戻るのはちょっと無駄になってしまうので、別の道を探す。とにかく西にいけばぶつかるはずだが…、とちょっと迷ったりしているうちに公衆電話を発見。なんとか連絡することができた。もう3時半か…。再短距離でもまだこれから20kmくらいあるし、早くてもあと1時間くらいはかかるのか。もう、豪渓にいくのはあきらめ、明日余裕があったらいくということにして、180号線をそのまま走っていくことにした。むこうから車でこっちに向かってくれて、見つけたところで拾ってもらえることになった。
 電話をしたところから少し走ったら180号線がすぐに見つかった。あと少しだと思ったらなんか元気が出て、25〜30km/hくらいのペースで走ることができた。道もほとんど平坦(若干上っているが、川沿いなのでほとんど平らだ)で、楽だった。擦れ違ったのは15分か20分くらいたったところだったのかな。ぼくは全然気付かなかったのだが(ちゃんと対向車をみていたつもりだったのだが)、気付いてもらえてよかった。結局半分くらい乗せてもらったのかな。だから、10kmくらいか。やっぱり車は快適だなぁ(笑)。

 5時ごろ、やっと到着。さっそくビールをいただく。いやあ、疲れたあとのビールは最高だなぁ…。しばらくいろいろ話をしながら、飲んで飲んで…。疲れもあるしまわりが早いかと思ったけれど、それほどでもなかった。興奮状態(?)だとかえって酔わないなんていうこともあるのかな?
 今日は祭りらしく(3日間の最終日)、あとでみにいこうという話になり、8時ごろでかけた。それまでにやったことはしゃべっていただけか…。3時間もしゃべったんだ。すごいなぁ。
 祭りは、松山踊りという結構有名なお祭りなんだそうだ。松山といっても愛媛の松山とは関係なくて、このあたりは松山という地名らしい。で、しばらく踊りをみた。地元の暴走族の人達がちょっと離れたところで輪をつくって踊ってる(?)のがおもしろかった。踊りをみていたところは床屋さんの前で、そこのおばちゃんに踊りを教えてもらってしまった。が、なかなか難しい。地元の人は小学校とかで習うんだそうだが…。
 さて、戻って、しばらくまたしゃべって、ゲーム大会(?)突入。ゆういちさんがPSをもってきてくれていて、それでゲームを。なんていうゲームだったか忘れてしまったけれど、銃で撃つゲーム。なんかすごく盛り上がった。結局3時半ごろまで遊んでいて、ゆういちさんたちはそのまま鳥取に帰るということで、そこでお別れ。しかしこの時間から帰るなんてすごいなぁ。明日は8時くらいに起こしてもらうことにしたが、はたして大丈夫かなぁ。

走行距離:50km/走行時間:7時間くらい?

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